旧スタッフブログです。
2008年からはKSCEとその連携団体で行った
イベントや活動・相談会といったことの告知や報告
(最新告知はHPのTOPでもいたします)
をしていきたいとと思います。
新スタッフブログ「KSCE stuff diary second」
はサイドバーのリンク集からいけます。
是非見てくださいね。
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歳末緊急特集:~あるバンドマンの叫び~「こんな姉ちゃんはイヤだあ!」
・ライブに米を差し入れる ・男前のメンバー群に萌える
・いい齢して他のバンドの追っかけになりつつある ・水虫
みなさん、コンバンワ。一足お先に冬休みをいただいておりますワタクシManina(31)、今年最後の書き込みです。しかも、いつもにも増してキモチワルク長いです。ごめんなさいっ。
私は、25日にKSCEのクリスマス会を途中で抜けてすぐ新幹線に飛び乗り、ただいま山口県下関市の実家に帰省しております。そして、実の母親にシンデレラ並みにこき使われながら、家のあちこちに置いてある色んな楽器たちを眺めて、同じ両親から生まれてきたのに私とはまったく異なった道を歩んでいる自分の弟について考えています。今月25歳になったばかりの彼は、いちおう、「みゅーじさん」です。もちろん、貧乏みゅーじさんです。以下は、彼が今のような夢追い貧乏人になった経緯です。姉の回想録としてまとめてみます。
「少々アホでも音楽さえあれば人と繋がることが出来るから」と、将来のわが子達が「少々アホ」となることを見越していた我々の両親は、我々に物心がつく前からバイオリンやフルートを握らせました。姉である私は、練習が嫌で嫌で、中3で何もかもやめました。しかし弟の方は、ろくに練習しないくせに淡々とバイオリンを習い続け、中学からは陸上選手になったうえにギターやらドラムスティックまで握りだし、陸上とクラシックとロックと彼女に、蒼いエナジーを放出し続けていました。高校時代のヤツは特に気持ち悪かった。何十キロものランニングから帰ってくると、口もきかずに風呂に入り、浴室で絶叫を繰り返し(あれは多分NirvanaやOasisだったと思う)、風呂からあがると自室にこもってギターやドラムをならしまくり、週末にはライブをしていました。そして、家族が気づいた頃には、寺の長男なのに芸大へ行ってしまっていました。以来7年間、寺を放ってまで彼が突き進んでいる夢追い生活は我々家族の知るところではなくなり、こちらとしても彼のそんな姿に向き合う勇気など持ち合わせぬまま時が経ちました。
でも、先日私は、私のスター(26)のブログを読んでいてハッとしました。彼は、これから先も音楽を続けていく不安を、「怖いのは燃え尽きることじゃない。怖いのは、(悔しく惨めだった過去の色んなことを忘れたかのように生きて)燃え尽きずに死ぬことだ」と書いていました。原石ながらも既に十分な才能が光っているスターのこの言葉に、私は僭越ながら、我が弟の身を切実に案じました。凡人のあの子にもこんな激情があるのだろうか?と。もし才能も激情も両方無いのなら、音楽なんてとっととやめたほうが良い!と。それを誰かが告げてやるのが「あの子のためや!」と…。で、思い余った私はついに、「ライブが中途半端やったら“音楽やめて寺継げや”って言うてくる!」と母に言い残し、アメ村へ弟のバンドを見に出かけました。しかし初めて見た彼らのステージが、緊張して目を見張っているこちらの身体を自然に動き出させるくらいにカッコよく楽しいものだったので、私は「激情」や「才能」を問題にするのをつい忘れてしまいました。みんながコーラスを叫んでいるのを見て、私はとても不思議な気持ちになりました。昔両親が予想したとおりの「少々アホ」となった今日の私たち姉弟ですが、音楽をやめた私が単なるアホウとなったのに対し、弟のアホウの方はバイオリンから握り替えたギターを引っさげて、メンバーやお客さんたちと、音楽によってしっかりと繋がっているのでした。家族の知らないところで、そんな自分の世界を築いていた弟が、少し頼もしく見えました。息巻いて乗り込んだ私のほうが逆に、自分の周囲の人たちへの感謝の気持ちを反省させられました。母には、「良いバンドだから諦めろなんて今はまだよう言わん」ということと、「メンバーが男前やから今度一緒に見に行こう!」という旨だけ伝えました。そして、彼らのステージを見に行くと決意した先週木曜以来、私は、彼らのHPをチェックするのを止めました。どうせ行くのならHPじゃなくて、現場に行って踊りまくってやる!という覚悟を決めました。彼らにすれば迷惑な話でしょうが、私は勝手にそう決めました♪
家族って、ほんっとに不思議なものだと思いませんか?
少なくとも私自身が10代20代だった頃は、「家族だから理解しあえて当然」なんて、そんなことは絶対に嘘だと思って過ごしてきました。そして今でも、そう思います。
だって、「家族だからこそ」向き合うのが怖いことって、沢山あったりしませんか?
同じ血が通っているはずの家族の若年メンバーが、全くわけのわからん宇宙人に見えたりして、「わからない!」とイライラして、心配しているのにひどいことを言ってしまったり…。そんなことを繰り返してきた家族は、我が家も含めて、きっと沢山あると思います。でも、そんなに心配なら、勇気を出して、彼・彼女の眺めてる景色を、ちょっと真剣な顔で覗き込んでみれば良いのだと思います。理解できなくてもいちど覘き覗き込んでみて、彼・彼女の景色の中に、「ようわからんけど見守ってるんだぞ」という“ひとこと”を置いてくるだけで、こちらの緊張も少し解れるのではないでしょうか。後は、その「見守られている」というプレッシャーを、彼・彼女自身が、自分自身を支えていくための強い力へと変えていくことを祈るだけです。家族に出来ることなんて、きっと、それくらいのことです。ほんっと、それくらいの小さなことで、でも、思いを伝えておくことは、とても大切なことだと思います。私は今回、弟の眺めている景色に潜入してみてそう思いました。
みなさんは、この年の瀬を、家族とどのように過ごしますか?
私個人は、冒頭に記した「弟の叫び」の全項目に関して、近々大阪から帰省する彼に叱られること間違いなしです。でも彼が年末に実家にいるのは数年ぶりなので、実は今から楽しみでなりません。
そして・・・
アナタの、「アナタの家族」との穏やかな年の瀬も、ここ本州の西の果てより、心から祈っています。
KSCEのみなさま、良いお年を!
そして来年も、どうぞよろしく…
大掃除に参加できなくてゴメンナサイ(>_<)
Manina
・ライブに米を差し入れる ・男前のメンバー群に萌える
・いい齢して他のバンドの追っかけになりつつある ・水虫
みなさん、コンバンワ。一足お先に冬休みをいただいておりますワタクシManina(31)、今年最後の書き込みです。しかも、いつもにも増してキモチワルク長いです。ごめんなさいっ。
私は、25日にKSCEのクリスマス会を途中で抜けてすぐ新幹線に飛び乗り、ただいま山口県下関市の実家に帰省しております。そして、実の母親にシンデレラ並みにこき使われながら、家のあちこちに置いてある色んな楽器たちを眺めて、同じ両親から生まれてきたのに私とはまったく異なった道を歩んでいる自分の弟について考えています。今月25歳になったばかりの彼は、いちおう、「みゅーじさん」です。もちろん、貧乏みゅーじさんです。以下は、彼が今のような夢追い貧乏人になった経緯です。姉の回想録としてまとめてみます。
「少々アホでも音楽さえあれば人と繋がることが出来るから」と、将来のわが子達が「少々アホ」となることを見越していた我々の両親は、我々に物心がつく前からバイオリンやフルートを握らせました。姉である私は、練習が嫌で嫌で、中3で何もかもやめました。しかし弟の方は、ろくに練習しないくせに淡々とバイオリンを習い続け、中学からは陸上選手になったうえにギターやらドラムスティックまで握りだし、陸上とクラシックとロックと彼女に、蒼いエナジーを放出し続けていました。高校時代のヤツは特に気持ち悪かった。何十キロものランニングから帰ってくると、口もきかずに風呂に入り、浴室で絶叫を繰り返し(あれは多分NirvanaやOasisだったと思う)、風呂からあがると自室にこもってギターやドラムをならしまくり、週末にはライブをしていました。そして、家族が気づいた頃には、寺の長男なのに芸大へ行ってしまっていました。以来7年間、寺を放ってまで彼が突き進んでいる夢追い生活は我々家族の知るところではなくなり、こちらとしても彼のそんな姿に向き合う勇気など持ち合わせぬまま時が経ちました。
でも、先日私は、私のスター(26)のブログを読んでいてハッとしました。彼は、これから先も音楽を続けていく不安を、「怖いのは燃え尽きることじゃない。怖いのは、(悔しく惨めだった過去の色んなことを忘れたかのように生きて)燃え尽きずに死ぬことだ」と書いていました。原石ながらも既に十分な才能が光っているスターのこの言葉に、私は僭越ながら、我が弟の身を切実に案じました。凡人のあの子にもこんな激情があるのだろうか?と。もし才能も激情も両方無いのなら、音楽なんてとっととやめたほうが良い!と。それを誰かが告げてやるのが「あの子のためや!」と…。で、思い余った私はついに、「ライブが中途半端やったら“音楽やめて寺継げや”って言うてくる!」と母に言い残し、アメ村へ弟のバンドを見に出かけました。しかし初めて見た彼らのステージが、緊張して目を見張っているこちらの身体を自然に動き出させるくらいにカッコよく楽しいものだったので、私は「激情」や「才能」を問題にするのをつい忘れてしまいました。みんながコーラスを叫んでいるのを見て、私はとても不思議な気持ちになりました。昔両親が予想したとおりの「少々アホ」となった今日の私たち姉弟ですが、音楽をやめた私が単なるアホウとなったのに対し、弟のアホウの方はバイオリンから握り替えたギターを引っさげて、メンバーやお客さんたちと、音楽によってしっかりと繋がっているのでした。家族の知らないところで、そんな自分の世界を築いていた弟が、少し頼もしく見えました。息巻いて乗り込んだ私のほうが逆に、自分の周囲の人たちへの感謝の気持ちを反省させられました。母には、「良いバンドだから諦めろなんて今はまだよう言わん」ということと、「メンバーが男前やから今度一緒に見に行こう!」という旨だけ伝えました。そして、彼らのステージを見に行くと決意した先週木曜以来、私は、彼らのHPをチェックするのを止めました。どうせ行くのならHPじゃなくて、現場に行って踊りまくってやる!という覚悟を決めました。彼らにすれば迷惑な話でしょうが、私は勝手にそう決めました♪
家族って、ほんっとに不思議なものだと思いませんか?
少なくとも私自身が10代20代だった頃は、「家族だから理解しあえて当然」なんて、そんなことは絶対に嘘だと思って過ごしてきました。そして今でも、そう思います。
だって、「家族だからこそ」向き合うのが怖いことって、沢山あったりしませんか?
同じ血が通っているはずの家族の若年メンバーが、全くわけのわからん宇宙人に見えたりして、「わからない!」とイライラして、心配しているのにひどいことを言ってしまったり…。そんなことを繰り返してきた家族は、我が家も含めて、きっと沢山あると思います。でも、そんなに心配なら、勇気を出して、彼・彼女の眺めてる景色を、ちょっと真剣な顔で覗き込んでみれば良いのだと思います。理解できなくてもいちど覘き覗き込んでみて、彼・彼女の景色の中に、「ようわからんけど見守ってるんだぞ」という“ひとこと”を置いてくるだけで、こちらの緊張も少し解れるのではないでしょうか。後は、その「見守られている」というプレッシャーを、彼・彼女自身が、自分自身を支えていくための強い力へと変えていくことを祈るだけです。家族に出来ることなんて、きっと、それくらいのことです。ほんっと、それくらいの小さなことで、でも、思いを伝えておくことは、とても大切なことだと思います。私は今回、弟の眺めている景色に潜入してみてそう思いました。
みなさんは、この年の瀬を、家族とどのように過ごしますか?
私個人は、冒頭に記した「弟の叫び」の全項目に関して、近々大阪から帰省する彼に叱られること間違いなしです。でも彼が年末に実家にいるのは数年ぶりなので、実は今から楽しみでなりません。
そして・・・
アナタの、「アナタの家族」との穏やかな年の瀬も、ここ本州の西の果てより、心から祈っています。
KSCEのみなさま、良いお年を!
そして来年も、どうぞよろしく…
大掃除に参加できなくてゴメンナサイ(>_<)
Manina
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